Carbon Emacs

Carbon Emacs をインストール。正式には、

Carbon Emacs GNU Emacs 22.3.1 (i386-apple-darwin9.6.0, Carbon Version 1.6.0)

早速設定ファイルである「.emacs.el」を作成。ネット上にある設定をコピペ。画像をお見せ出来ないのが残念ですが、PHPの開発環境が整いました。
一応これでWordPressの開発環境はすべて整いました。思えばブログを全消去した日からこの日を夢観ていたような… 敷居が高そうに感じたんですが見通しはありました。30歳の頃にEclipseでPHP開発環境を苦労して構築したんですがサーバのパスとかWindowsの環境変数とかに「?」となってしまい本質的な事が分からないまま開発していました。独特なんですよ。XAMPPとかいう怪しげなソフトに出会いWeb開発をしようと。Apacheの設定の敷居も高かったし。LinuxをインストールしてEmacsで先に進めなかったりね。でもそうやって私の人生はWebに関わりだしたのよね。WebってところをキーワードにしてPCを弄っていたら見通しがよくなってきたの。

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しんみり

いつもの英会話がキャンセルになり途方に暮れてたら、そういえばと借りていて観てなかったフランス映画のDVDを観る。こういう日曜は独身者には気だるいなぁと暗澹たる気持ちだったけど、フランス映画はさらに気だるかった。戦時中のパリの退廃的な世界に生きる人々の哀愁が描かれていた作品にしんみりした午後でした。
その後Oさんとガラス越しに気だるく歩いている人々を見ながらしんみりと過ごせる喫茶店で昔観た映画の話をする。
英会話よりこっちの過ごし方のほうがよかったかも。

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Epimbiさんと出会った頃 2

好評だったので続けます…

Epimbiさんはお座敷で自己紹介をそれぞれしたときの私のが面白かったらしい。最年少だった私は多少フォーマルな雰囲気を持ちつつ「コンピュータの濃い話がしたい」とぶつけてみた。もちろんコンピュータの濃い話などする能力はなく、自分なりの誠意ある発言をしたつもりだったが(今はそうは思わない)そこに食いついてきたひとがEpimbiさんだった。話し方ひとつだったり、ちょっと気のきいたコメントをすることは大事だと知っていたが、それ以上のことは当時知らなかった。それは、その発言に反応する人がいることやその反応する人がその後話かけてきてくれることだ。

こういうわけで、完全に偶然と偶然との産物でしかないEpimbiさんとの出会いが、まさか12年も友人になるから人生ってのは分からない。そのときパソコンのメルアドを用意しておいたのも功を奏した。Epimbiさんのメールにはオランダ語で挨拶文があるというエキゾチックさが私を刺激した。携帯が普及するちょっと前の時代で、デジタルムーバを持っていたが相手の電話番号が表示されるというのがウリでi-modeはついてなかった。もしパソコンのメルアドがなかったら、年長者に自分から電話出来なかった。それ以前の時代だと出来なかった交流が、なんとか駆使して可能になったのが1999年という時代の空気のような気がします。そのころ女友達が持っていたPHSに直接連絡して会っていたりして、学年が一つ上の人達はまだグループ交際的な世界だったと聞きましたが、その頃くらいから、自分の嫌いな人とは会わなくてもOKになり、とてもよかった。嫌いな人との関係はその頃すぐに切りました。

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Epimbiさんと出会った頃

きょうは人生の話をしてみたい。

Epimbiさんと知り合ったのは12年前の1999年秋だった。人と人との出会いがその後のその人の人生にどれほど影響を与えるかはもはや言うまでもないことだが、そういう出会いが”いつどこで”起こるのだろうか。そのころの私はそんなことを真剣に考えていた。ただ周りの人でこういうひとは少なかったように思う。自分の半径何メートルの範囲内の知り合いといつもの話をしているのだ。それは今の2011年の鹿児島でも見受けられる。今はそれが携帯メールの繋がりになっている。携帯メールは半径何メートルの範囲内の知り合いに限定されている。1999年は携帯が爆発的に普及した年でネコもシャクシも持ち出したがこれで人と新しく知り合うツールになりえたのだろうか。当時の話を聞いてみたい気がする。むしろ青少年を中心に「メル友」なる空々しい友情が生まれたはずだ。「メル友」は真の友人たりえずまさに虚の世界に堕してしまったのは、私が後年NHKのドキュメンタリーで確認した。

1999年の私はそこまでデジタル化されてなかった。人と人との出会いという極めてアナログな世界を志向していたせいもあるが、その直前のボランティア活動の延長で御婦人達とサシで話すという希有な体験のせいかもしれない。私はその希有な体験がいまになっても良かったのか悪かったのか分からないのだが、上記の人と人との出会いの体験という点では価値があったといえるかもしれない。人との出会いを志向していた1999年秋、近所のレストランで講演会の2次会をするという情報が新聞かなにかにあった。講演者は東大でOSのトロンを開発したS氏だった。講演会の2次会というのは招待された人だけの会なわけだが、そのとき私は若気の至り?で「東大教授と話してみよう」と。近所というのが良かった。夜になり開始30分くらい前に家でくつろいでいた私は”近所だから”という理由だけですぐにスーツに着替え会場に向かう気になった。この”その気になった”というのは今思えばよくやったなと思う。

会場に着くと門番がいた。抽選で招待された人以外は入れないというのだが、ここでも私は若気の至り?で食い下がってみた。そこは鹿児島だ。どさくさに紛れている。なんとOKが出たのだ。スーツだったのがよかったのだろうか。会場で若い人は私だけでした。しばらく苦痛の時間が続き会がお開きになり人がまばらになった頃、ウロウロしていた私に話かけてきたのが同じくウロウロしていたEpimbiさんだった。

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Webの仕事をする際の注意点

Webアプリでなんらかのデータを送信するとき「送信」ボタンをクリックするのだが、クリックひとつだけなのに、ミスをする可能性がある。

■PCの処理が遅くてポインタが砂時計になり即時的な処理が出来ない:
送信時刻のタイムスタンプに影響。ギリギリで送信するときはほぼ絶望的な状況に。私が電話で応対したときは、データ送信用にネットに繋いであるPCの遅さに苛ついている社員がかなりいた。Webの仕事ではPCのメンテナンスを怠っているとミスを引き起こす。PCのメンテナンスは地味な仕事だが玄人と素人の違いはここにあると言える。以前読んだ文章に素人と玄人の違いについて論じていたものがあった。素人は道具をすぐに使いすぐに制作に取りかかるが、玄人は取りかかりたい気持ちを抑えてまずカンナの歯を研いだりするというのだ。玄人というのは仕事の難しさを知っているひとなのだ。
この点でもDELLのチープなPCで済ますのではなく自作を勧めたい。キーレスポンスにこだわるマシンにして欲しい。

■クリックの感触に「?」となりもう一度クリックする:
二重送信の可能性あり。人為的ミスなので受取人には通知されない状況に。具体的には請求金額が二倍になるなどのリスクがある。現在のWebアプリではこの誤操作は防げない。クリックひとつに繊細になって欲しい。

鹿児島ではこの手のミスが多かった。「素人さん」なのだ。仕事のリスクを洗い出し改善する必要があるのだが、PCを自作するまで至る会社がどのくらいあるのだろうか。

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8歳上のEpimbiさんとしゃべる。Epimbiさんによると「うる星やつら」からアニメが変容したという。僕はなるほどと納得した。79年放映の「機動戦士ガンダム」は色彩が制限されていたが「うる星やつら」は色彩的にも80年代なのだ。多感な頃を80年代で過ごしたEpimbiさんの感覚はすごく眩しい。

当時のEpimbiさんが観ていた「未来少年コナン」の大人な世界観や「仮面ライダー」の怪人のおどろおどろしい世界というのが印象的でした。子供をどこか突き放したところがあり、分からないものに溢れている。

それが私の子供時代を振り返ると、かなり咀嚼され無駄が少ないように洗練されている。例えば、

■劇場版「のび太と宇宙開拓史」を観たのが小学校一年生だったので、コミック版「ドラえもん」は別の感覚がしていた。
■「ウルトラマン」や「仮面ライダー」はブランド的な扱いで「ウルトラマン80」と「仮面ライダースーパーワン」にはすでに基本設計に古さを感じていた。
■戦隊モノは「デンジマン」でやはり前作とは基本設計が違う。隊員が地球の平和を守るという使命感が薄いのか副業で戦隊をしていて本業はインストラクターだったりする(笑)。悪の組織内の内ゲバが起きたりして事態が複雑だ。

絵柄もほのぼの系が多かったしパステルカラーだ。ガンダムみたいに難解さはなくむしろシリアスをパロディ化する手法が流行った。分かりやすく無駄のない見せ方をしていたように思う。「ダンバイン」のオーラという概念が小学生には難しかったが「イデオン」の方が罪が深い(笑)日本サンライズ系は全盛期らしくなんとかついて行ったか行かないかくらい。

恐いものが出たり刃物が出たりがなかった子供に優しい時代でした。

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英国王子の結婚式

英国王子の結婚式をBSの中継で観てました。昨日のニュースで知り、僕らの世代にとってはダイアナ妃のパレードを観たのが小学生の頃だったせいか、どうしても観ておきたいと。外国の結婚式っていう興味もあります。

なんとか寺院のあとバッキンガム宮殿へ。やっぱり宗教は宗教で儀式をやって、そのあと王室は王室で、と分かりやすかったです。なんか教会の偉い人が着てた法衣が、「ルパン三世 カリオストロの城」で観たことあるような法衣だったし、近衛兵もそれに近い気がしたのは、アニメを観てた記憶ってバカにできないです。おかげでなんか分かりやすかった。

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ビジネスモデル特許

ビジネスモデル特許というのに興味があります。米国で盛んだとすれば調べてみたいです。今までの自分の経験がすべて生かしてみたいので。

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「mixi疲れ」の補足

昨日の記事に補足すると、その書き込みして実際に来ない人ってのは、mixiでの「しきたり」に過敏なユーザってのを感じるし、そういう実社会ばりの「しきたり」をmixi上に再構築してしまった管理者のナイーブさ(なまくらの管理者という意味)に腹が立ちます。管理者の素顔を知っているものからすると、ネット社会のリテラシイに乏しいのも気になるところです。

これは自分の身近であった典型的な「mixi疲れ」の一例かと。

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「mixi疲れ」のこと

鹿児島のmixiに英会話のグループを作っている人がこぼしていた。メンバーの中で書き込みして「今度会に顔出しますね〜」と言っている人が来ないというのだ。そのこぼした人は10年くらい英会話のグループを運営していて、その間いろんな人の出入りを見てきている。その間mixiが出てきて、これだとばかりに飛びつき、私にもメンバーにならないかとはじめのころは勧誘してきた。私は個人で携帯を持たなかったのでmixiには登録できないと言って断ってきたが、実はmixiの利用には抵抗があった。

mixiが登場した頃に鹿児島の学習会で取り上げたことがあった。「SNSとはCMSとどう違うのだろう」とそのころ使ってたCMSと較べたりしてなんか難しそうなSNSの概念をなんとか理解することはできた。私より数歳上のネット黎明期からのヘビーユーザの講師は、まだ新しい技術に理解のある方なのだが、その講演が終わったあと私が質問してその立ち話のなかで「mixiは…ちょっとね」と怪訝な顔をしていた。ネット黎明期のインターネットは自由だという感覚とは相反する世界なのだ。当時こういう警告を発するひとは巷の鹿児島の人にはいなかったので、私にはとても興味深い視点だった。

そのころ巷の人は、mixiで知り合いOFF会を開いては同好の志で集まっていたのだが、私には同好の志というより友達が欲しいとか何かに属したいとかに感じた。

mixiは同窓会にはベストだと思うんです。アバターも旧知の仲なら可愛いし管理者と利用者には信頼関係がある。しかしまったく見ず知らずの人に自分の「足跡」をトレースされ、発言を修正される可能性があるとしたら、ちょっと恐い。上記の鹿児島の人達はみんながみんなそのリスクを知らないくせに使いたがる人達ばかりだった。その後とある掲示板で地元のSNSで男女間のいざこざがあったのを知り恐ろしやと思った。今では所謂「mixi疲れ」が進みTwitterに流れているらしいのです。

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