「mixi疲れ」のこと

鹿児島のmixiに英会話のグループを作っている人がこぼしていた。メンバーの中で書き込みして「今度会に顔出しますね〜」と言っている人が来ないというのだ。そのこぼした人は10年くらい英会話のグループを運営していて、その間いろんな人の出入りを見てきている。その間mixiが出てきて、これだとばかりに飛びつき、私にもメンバーにならないかとはじめのころは勧誘してきた。私は個人で携帯を持たなかったのでmixiには登録できないと言って断ってきたが、実はmixiの利用には抵抗があった。

mixiが登場した頃に鹿児島の学習会で取り上げたことがあった。「SNSとはCMSとどう違うのだろう」とそのころ使ってたCMSと較べたりしてなんか難しそうなSNSの概念をなんとか理解することはできた。私より数歳上のネット黎明期からのヘビーユーザの講師は、まだ新しい技術に理解のある方なのだが、その講演が終わったあと私が質問してその立ち話のなかで「mixiは…ちょっとね」と怪訝な顔をしていた。ネット黎明期のインターネットは自由だという感覚とは相反する世界なのだ。当時こういう警告を発するひとは巷の鹿児島の人にはいなかったので、私にはとても興味深い視点だった。

そのころ巷の人は、mixiで知り合いOFF会を開いては同好の志で集まっていたのだが、私には同好の志というより友達が欲しいとか何かに属したいとかに感じた。

mixiは同窓会にはベストだと思うんです。アバターも旧知の仲なら可愛いし管理者と利用者には信頼関係がある。しかしまったく見ず知らずの人に自分の「足跡」をトレースされ、発言を修正される可能性があるとしたら、ちょっと恐い。上記の鹿児島の人達はみんながみんなそのリスクを知らないくせに使いたがる人達ばかりだった。その後とある掲示板で地元のSNSで男女間のいざこざがあったのを知り恐ろしやと思った。今では所謂「mixi疲れ」が進みTwitterに流れているらしいのです。

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