きょうは人生の話をしてみたい。
Epimbiさんと知り合ったのは12年前の1999年秋だった。人と人との出会いがその後のその人の人生にどれほど影響を与えるかはもはや言うまでもないことだが、そういう出会いが”いつどこで”起こるのだろうか。そのころの私はそんなことを真剣に考えていた。ただ周りの人でこういうひとは少なかったように思う。自分の半径何メートルの範囲内の知り合いといつもの話をしているのだ。それは今の2011年の鹿児島でも見受けられる。今はそれが携帯メールの繋がりになっている。携帯メールは半径何メートルの範囲内の知り合いに限定されている。1999年は携帯が爆発的に普及した年でネコもシャクシも持ち出したがこれで人と新しく知り合うツールになりえたのだろうか。当時の話を聞いてみたい気がする。むしろ青少年を中心に「メル友」なる空々しい友情が生まれたはずだ。「メル友」は真の友人たりえずまさに虚の世界に堕してしまったのは、私が後年NHKのドキュメンタリーで確認した。
1999年の私はそこまでデジタル化されてなかった。人と人との出会いという極めてアナログな世界を志向していたせいもあるが、その直前のボランティア活動の延長で御婦人達とサシで話すという希有な体験のせいかもしれない。私はその希有な体験がいまになっても良かったのか悪かったのか分からないのだが、上記の人と人との出会いの体験という点では価値があったといえるかもしれない。人との出会いを志向していた1999年秋、近所のレストランで講演会の2次会をするという情報が新聞かなにかにあった。講演者は東大でOSのトロンを開発したS氏だった。講演会の2次会というのは招待された人だけの会なわけだが、そのとき私は若気の至り?で「東大教授と話してみよう」と。近所というのが良かった。夜になり開始30分くらい前に家でくつろいでいた私は”近所だから”という理由だけですぐにスーツに着替え会場に向かう気になった。この”その気になった”というのは今思えばよくやったなと思う。
会場に着くと門番がいた。抽選で招待された人以外は入れないというのだが、ここでも私は若気の至り?で食い下がってみた。そこは鹿児島だ。どさくさに紛れている。なんとOKが出たのだ。スーツだったのがよかったのだろうか。会場で若い人は私だけでした。しばらく苦痛の時間が続き会がお開きになり人がまばらになった頃、ウロウロしていた私に話かけてきたのが同じくウロウロしていたEpimbiさんだった。
エビさんとの出会いの話興味深かったです。そうか、エビさんとはそういう出会いだったんですね。