親戚のオジサンの若い頃、鹿児島駅周辺には5~6件のパチンコ屋があったそうだ。その周辺には高利貸しが居たらしく利息は5割ほどもあったという。高利貸しの手下が店に集金に来たときは、手下に台で遊んで貰い、店員のオバさんが玉詰まりを装って台を開けて玉をチューリップに入れてくれた。そこで稼いだお金が手下たちの生活費だったという。
その後オジサンは就職で大阪へ。「いやぁもう全然違った」という大阪のパチンコ屋には、芸能人のお祝いの献花がズラリとあったそうだが、これもソッチ系の付き合いの話らしい。
小学生の頃夏休みに両親が海外旅行に行くので親戚の家で数日間過ごした事があった。ある夜、繁華街のパチンコ屋に行くオジサンに着いて行くことになった。私は従弟と玉を拾いコッソリと台で遊んでみた。帰りに繁華街の定食屋で念願だった牛丼を食べた。
fumixハンの子供の時のいい思い出や~~~。