「昭和」の先生

小学校のときの担任の先生の訃報を新聞で知った。2年間受け持ちで親身にして頂いた。家族で深夜の天文館にいたとき歓楽街から出てきた先生がきまりが悪そうな様子で挨拶してきたことも記憶にある。同級生の卒業文集で名前が出るほど子供達にはインパクトのある方だった。

そういうと名物先生といわんばかりにオーバーアクションだったり型破りなタイプが出てきそうだが、先生はどちらかと言えば渋めの名俳優のような存在感のある方だった。先生に近づくときは緊張感が最高潮で子供心に恐かった。どこか翳(かげ)のある寂しげな表情が思い浮かぶ。

2度目に受け持たれた4年生の1984年とは、その翌年とは時代が断絶された、まだ戦後の暗さを引きずった時代だった。土曜のテレビは「あばれはっちゃく」が放送終了を迎えていた。あの土曜日が最近どこか懐かしかったが「昭和」の土曜日は先生の顔がダブってくる。先生の雰囲気は「昭和」とともに記憶されている。

1984年
・鹿児島に来たコアラの影響で大ブームに。デパートはコアラだらけ。コアラのマスコットを机に置く(エリマキトカゲは買わなかったが)。
・「あばれはっちゃく」ばりにランドセルを投げていた兄が6年生なのに2度目のランドセルを買う(←バカ)。
・チェッカーズ、吉川晃司、一世風靡セピア、の影響もあり不良が問題視された時代。カツアゲが日常化していてゲームセンターには行くなと言われた。
・小泉今日子が好きだったY本くん。X’masはプラモありがとう。「ヤマトナデシコ七変化」は名曲です。

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「昭和」の先生 への1件のフィードバック

  1. オオパチ のコメント:

    いい先生だったんですね……。

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